笛作り三十年

第5回

私は勤勉に仕事をします。
遊ぶことより笛をいじっている方が
よっぽど楽しい。

 『仕事は信用するけれど、日限は信用できない』これは、まことに相済まない私の定評です。私とて整然と仕事をしたいのです。毎朝起きると、積み重ねた修理楽器の山とメモとをにらみ合わせて、一日ギリギリいっぱいの予定を作ります。工員の仕事の振り当て、部品の補給、材料の入手。それにも増して、私の日常にはあまりに雑音が多過ぎます。恋人の退院を待ち侘びる諸君の気持ちはよくわかるけれど、笛吹きの中には随分わがまま勝手な自分の事だけより考えられない人が多いのです。これらの人が、私から何時間かを強奪していくのです。それを防御する為に修理フリュートを玄関先に積上げて、強引に仕事をさせようとする人に、これだけの笛の所有者に諒解を得てこい、と云うことにしました。北海道から九州までの笛が集まっているのでそれは不可能なことです。一本の笛の修理が割込めば全部の修理が一本ずつずれてしまいます。

一人の人に喜ばれる反面、幾人もの人に恨まれなければならない。片田舎の野方(東京都中野区)まで出掛けて来て、まだ出来ないと言われた時の諸君の失望した顔、それを見ることは私の今の生活の内で一番苦痛なのです。「面会は五分間」というぐらいの張り出しをしたのでは効目がないのです。顔を合わせてしまえばしめたものとばかり無理を言います。上がれとも云わないのに靴を脱ぎ始めます。中には長い間の特別な関係で眠る時間を割いても喜んで修理する人もあるのですが、それが当たり前になってその弟子達にもすぐ直すことを強要させるのです。私はどなりつけざるを得ない。なんとか理由を並べて自分の笛を先に直させようとするけれど、笛を持つ人は皆同じように笛を愛しているのだということを知ってもらいたい。あんまり自分勝手を言う人には頭から雷を落とす時もある。それで雷おやじと言われるけれど、落雷の数をまだまだ増やさなければならない。落雷の時間さえ私には捨て難い数分なのだけれど……。
 一体どうしたらいいのか。多くの修理工を養成すればいいじゃないかと誰でも言うでしょう。けれど、笛を作ることは三年も指導すれば一人前になるけれど、修理の方は応用問題ばかりなので、二年や三年ではものにならない。修理工を養成している間に私の身辺は修理品が山と積み上げられるでしょう。どうか無理を言わないで順序よく仕事をさせてください。私は勤勉に仕事をします。遊ぶことより笛をいじっている方がよっぽど楽しい。私も五十を四つも超えてしまったのです。もう昔のように無理がきかない。私から健康を奪うことは、私一個の損ばかりでなく、それはフリュートの敵と考えます。フエフキがフエスギたのかなあ−−。